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口丹&北摂ぐるっと §14

池田市内のバス交通利用者は、平成12年度の統計によるとおよそ34,000人である。市内には阪急線の石橋駅池田駅の二駅だけがある。どちらも全ての列車が停車する主要駅となっていて、バス路線も市内的にみれば、この二駅を核として路線を成している。他に箕面駅を結ぶ路線もあるが、全てを阪急バスが運行している。

池田駅の高架下北側にバス乗り場が連なるが、こちらは主に市内路線の池田駅より南方向か北東方向への便が発着している。私がこれより向かう北側へと向かう路線は、駅から離れた国道沿いのバスターミナルまで少し歩かねばならない。駅前のバス乗り場から三分程度しか離れていないのだが、途中に信号を渡らねばならないし、大きなビルが間にあるので、時間的なことよりも視覚的に遠い印象を与える。改札口からは二階のコンコース経由で付近までは行けるが、やはり距離的にも長くてかなり離れているという印象は拭えない。

何故こんなに離れた位置にバスターミナルを設けてあるのかと、歴史を知らない者には不可解に思うだろう。阪急が高架駅となる前の地平駅時代の位置が、このバスターミナルに近い場所にあったからなのである。駅の南側には前章で記した、私鉄で初めて分譲住宅を販売した室町住宅があり、北側にバス乗り場と車庫があったのだった。平井車庫にその機能を移した車庫跡地は、ゴルフ練習場を経て現在はマンションが建っている。高架により駅が移設され、バスターミナルは存置されたまま現在に至るといったところだろうか。昭和感漂うビル一階部分にある乗り場で、阪急バスの案内所も設けられている。以前は能勢方面へのメインとして、また遠距離路線も発着していて、便の出入りも賑やかだったようだ。しかし鉄道の輸送状況の変遷の中で、バス路線網も整理されていった。現在では東能勢線系統の、豊能町や市内北部の伏尾地区への路線が利用するのみである。ただ伏尾地区にある伏尾台は人口集積がそれなりにあり、バスの伏尾台営業所もある。本数的には結構な回数があり、利用者もそれに見合うだけはある様子。豊能町地区に入るバスは、豊能営業所がその殆どを受け持って\xA4

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バス乗り場では住宅街である伏尾台への便が頻発しているので、3ブース分ある乗り場の雰囲気は場末感が漂うが、客足は途絶えることはない。二時間に一本しか無い牧行きを待つ。以前は一時間に一本だったが、途中から分かれて住宅街に向かう方に半分振り替えられたそうで半減してしまったみたいだ。バスは低床車では無く2ステップ車だった。程よい乗車率で10時30分に発車。

西本町バス停から川西能勢口駅まで約一キロ。到着した途中に猪名川を渡る呉服(×ごふく ○くれは)橋が架かる。池田の地に織物を教えた渡来人のクレハトリとアヤハトリ。その名に由来するのは言うまでも無く、池田を語る上で外せない存在である。阪神高速池田線が川の対岸から、ビッグハープ=新猪名川大橋(ハープ橋だからその名がある)で渡りきって来た高架橋下に絹延橋(きぬのべばし)バス停がある。すぐそこに見える同名の橋を渡れば、徒歩五分ほどで能勢電車の絹延橋駅へと辿れる。絹延の名だが、猪名川の水で布を晒し河原で干したことに由来するというう。またこの辺りの地区を木部(きのべ)町という。絹延の転化だという説もあるが間違いである。地区には池田城時代に木部砦という城が設けられていた。城の端だから城邊(辺)=しろべ→きのべとなったみたいである。

高速道路の末端が国道と合流する辺りからは、東に山が近く西側に開けた緑豊かな郊外風景となる。かつては上川原や下川原もあったが、現在は中川原の名のみが残る池田市中川原町。細河小学校を右に見て中川原バス停に停車。そばにJAもある。合併前は細河村だった。JAの南側に役場があったようだ。

細河地区は植木の産地である。その起源は約450年前の室町時代。移植した時に枯れる確率が少なくないという。細河には6地区があり、それぞれが特色ある植木の生産が行われている。江戸時代後期から昭和初めまでは、木部地区のボタンは有名で、三百種以上を栽培していた。植木で隆盛した細河地域だが、第二次世界大戦で壊滅してしまい、再興に力を入れて現在に至っている。

中川原バス停近くに余野川親水公園があり、収穫体験やバーベキュー・川遊びが楽しめる。中川原橋を渡った所に池田細河郵便局がある。風景印にはビッグハープとウォンバットが配されている。図柄を橋か植木か迷ったそうだが、大きい方が良かろうとビッグハープが選択されたようだ。東能勢線牧行きは、この辺りからはとことん余野川を遡って行く。

川の先の丘に住宅が見える、伏尾台である。台という地名が付く場所は、一般的には山を削る等して台形状に土地を均した場所に用いる例が殆どである。吉田橋バス停で伏尾台行きは、丘の上にある住宅街へと向かう。傍らにある橋を渡り丘の上へと通じる勾配を登って行くことになる。伏尾の地名は、平安末期に久安寺(きゅうあんじ)の和尚である賢実上人が皇后懐妊の際、命により安産を祈願し、結果的に元気な皇子が生まれたのだった。以来この地を不死王村と呼ばれたのが伏尾に転化したとのことである。

道路は川を見下ろす位置を通るが、川原沿いに伏尾温泉不死王閣の建物が見える。昭和8年に、料亭鮎茶屋として創業。二代目が旅館業を始めた。昭和38年にコンクリート造り五階建ての新館が完成した。鮎茶屋の屋号では名前負けするというので、伏尾の歴史より相応しいと不死王閣という屋号に改称。昭和40年に温泉掘削を開始した。二年後に二本の鉱泉を掘り当てた。珍しい天然ラドン温泉を有する、食事・宴会・宿泊可能な施設である。

崖下にある伏尾バス停から、山際にある伏尾の集落を避けるように整備された狭い国道を通る。大きな赤い山門に眼を見張ると久安寺バス停に到着。ここで折り返す便も多数あるから、回転出来るように広い場所が確保されている。久安寺の参道前にあるバス停でお休み処も間近に見える。伏尾の地に深くか関わる久安寺は、725年に行基による開創と伝わる。1145年(久安元年)に楼門(重文)等の伽藍を建立し久安寺と呼ばれるようになった。本尊は秘仏の千手観音。関西の花の寺札所でもあり、牡丹やあじさい等約二十種類の草木が季節により寺を彩る。

これより先の国道をバスは、険しい地形を走ることになる。