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どんな時に何をやろうが結局は同じなんじゃないか?

良い日があったり、悪い日があったりする。

良い日には良いことが、悪い日には悪いことが起こる。

じゃあ、いつ、その悪い日が来て、いつ、その良い日が来るのか?と考えてみても分からない。

じゃあ、良い日は自分で作れば良い。

良い日のために悪い日が何日続いても、その先に良い日が来るからと思えば我慢だって意味のあることだったって思えるんじゃないか?

これまで、平穏無事に生きていたとしても、その先に地獄のようなことに出会う可能性だってある。

そんなの分からないんだよな。どうなるのかなんて、誰にも分からない。

だったら、やることやって生きれば良い。

やることをやっていないから、人にああだ、こうだと言われ、気にする。

もしそうなら、俺はやっている。ちゃんとしっかりやってんだ!って思えない自分の方に問題があるんじゃないか?って思う。

やることやってたら、他人のことなんかどうでも良い。自分は自分だし、他人は他人なんだから。

っで、結局、どんなに厳しい時も厳しくない時も、ある一定のラインを越えていなければ、その先なんてない。

勉強してて思うんだが、昨日、今日、覚えた単語たちって忘れたら、もう使えないんだよな。

だったら、ずっと記憶しているものから、引き出すしかない。

記憶していなければ使えない。

それを知っていなければ使えないんだ。

だから、実力っていうのは、いつでも、どこでも使えるものからでしか出せない。

どんな状況でもそれができなければ、意味がないんだ。

そう考えると、整理された知識がいかに必要になってくるのか、社会人になって問われるような気がする。

知らないでは済まされないこともあるんじゃないか?なんて思う。

知らないからこそ、引き出せる言葉がなければ、考えることなんかできない。

正しい道筋なんか分かりはしないんだよな。

昔、母に、算数が分からなくて聞いたことがあった。これって何?って。そしたら、母は文脈がないと分からないって言った。私は単語の意味だけを聞いてなんとか自分で考えようとしたんだ。

でも、やっぱり、人の知性っていうものは、流れに沿って考えるようにできているから、誰一人として例外なく、同じにならないと意味がないんだって思った。

勉強ができないのは、自分勝手な頭の使い方をしているから。

これには幾度となく痛感させられる。

もしみんなが同じ解答が書けるんだとしたら、個性なんかない。

みんなロボットだ。

でも、そうじゃなきゃ学問の進歩なんてありえない。それまた、きつい。

昔からあったものを知る。そして、それから、また考えていかなきゃ、一生なんてすぐに終わる。

自分一人の人生なんてすぐに終わる。

聞こえない声がないように、文字にしたんだ。誰にでも、届くように。残るように。その時、そうだったことをちゃんと忘れずに取っておくように。

だから、本を読むことイコール人の心を覗くことでもあるんだろうな。

その時、その場所で、同じ経験をしたこともない誰かと誰かが繋がり合えるように、その言葉が存在する。

つまり、自分だけじゃないんだよ。それを理解できる人は。

繋がり合えるのは、自分を高めてきたから。同じように、分かり合えるように、やってきたからなんだろう。

どの時期にどんなことをしても、それが正しいことなら、ずっと正しいだろ。

徹底的に止まったものなんだから、自分の方を変えていくしかない。

いくら占いや風水でダメな年だと決めつけていても、できる人はできるし、できない人はいつまで経ってもできない。

その時、どう自分が振る舞うのか?そこがカギなんだ。

だから、できることどんどん増やして、努力をするしか道はないんだということがようやく分かったように思う。

努力してもできない時はできないが、だが、精一杯、頑張った自分の姿勢は褒めてあげても良いと思う。

自分で納得しているんならそれで良いはずだ。